「夜回り先生」
著:水谷修
を読み終えて・・・
12年間夜の街にでて不登校、ひきこもり、リストカット、薬物乱用・・・といった子供達と向き合っている先生のお話。
水谷先生は、書きもので食べている人じゃないし(たべてるのか?)ノンフィクションだから文体というよりは、子供達に泣いたよ。
世の中には、自分以外に多くの人がいるなんて基本的なこと今更いわれなくたって知っているよ。でもさ、忘れる。
大げさに言えば、自分を中心に地球の軸が回っているわけ。
今日は、自分のために自分で動く。
たぶん、そこには、家族やら恋人、友達のために動く人もいるかもね。
でも、基本的に自分のために自分の人生をいきているでしょ?
そうすると、地球の裏側でご飯も食べられない子供達がいること知っていても実感しないし分からない。知ったところで、実感したところで何かをしてあげられる人は、ほんの一握りの方々。
今日は、自分と周りの人達とお腹いっぱいに食べて笑っているわけ。
隣に座っている見知らぬ人にどんな事が起きているのかも知らずに・・・
「夜回り先生」を読んで水谷先生に感動する人もいるんだろうね。
私は、彼が関わった人々に涙をしたよ。
それで、又、再確認をさせられた。
私が立っているココは、私にとって最高の場所なんだと。
忘れがちだし文句もいいがち。
現状に満足せず欲をだすのが人間というものでしょ?
だから、自分の位置を再確認する事が大事。
「夜回り先生」より・・・
「おれ、暴走族やってた」 いいんだよ。
「おれ、窃盗やってた」 いいんだよ。
「わたし、リストカットやってた」 いいんだよ。
「わたし、シンナーやってた」 いいんだよ。
昨日までのことは、みんないいんだよ。
「おれ、死にたい」「わたし、死にたい」
でも、それだけはダメだよ。
生きれば生きるほど子供達は、誰かと出会いながらどんどん、学んでいくれるはずだから。
ありきたりかもね。
でも、きっと、ありきたりな言葉に人は、救われるんだろうね。
私はね,窃盗をする人薬物を乱用する人の気持ちは、わからないよ。だって、しようと思ったことがないから。軽い気持ちで万引きをしたのと同じ気持ち?それで私は親を傷つけたのを覚えてるよ。それからは、どんな理由があれ、自分を自分でコントロールできずにどうするというのが私の見解。
それは、この本を読み終えても涙を流した後も同じ意見。
でも・・・でも、本当に自分が彼らと同じ状況に置かれたとき私は、この意見を通す程の強い精神を持っているのかは、分からない。
分からないよ。誰にも。
ただ、思うのは、"和をもって貴しとす"を心におきながら自分を生きることだけだよ。