マナー=行儀や作法
あらゆるところにマナーがあってそれは、人間生活を営んでいく上で最低限守っていきたいルール。
軽く、はじめてみよう。まず、人を指で指すのは、よろしくない(私は、つい、やってしまう。反省)足でドアを開けるのは、よろしくない(これもやってしまうことがある。)
とまぁ、日常生活で叱られながらも私は、いまだにやってしまうという学ばない子だなと思ったりもする。
ではでは、マナーで一番、醜い行儀とは?と考えてみれば。
人に迷惑又は、嫌な思いをさせること。
これは、マナーというよりもすでにその枠を超えた問題。
さてさて、村上龍は、いい事をいっている「コストと利益、それに伴うリスクという概念は、知っておくと便利だ。結果次第によっては、膨大なコストがかかる、というような場合リスクがおおきいということになる。」(恋愛の格差より)
ここでは、Aちゃんが友達Bちゃんの彼氏C君とHをして後悔をしているんですというお便りを元にAちゃんにとってのリスク、コスト、利益を解いたところ結果として出てきた答え。
Aちゃんが友達の彼氏を寝取る前にリスクを考え又、それに伴うコストと利益を考えたならば決して後悔するようなことには、至らなかったこの件。
村上さんは、「まぁ、状況から考えればそこまで頭がまわらないだろう」という。「それでも他人が嫌な思いをするのでは、ないかとか。自分がされたら嫌な思いをするだろうと思われる事は、したくない。」つまり、私が思うには、村上さんは、マナーとして考えてもコレをしたら後悔するだろうと思われる事をしないというのは、暗黙の了解。最低限のルールだといっているような気がした。
「魔がさす」言い訳には、もってこいの一言。
誰もが頭で考えたとおりに動けるとは、思えないけれど魔がさして人を殺したでは、誰も納得しない。
とまぁ、いわゆる「魔が差した」に連ねて、この夏、日本列島を震わした例の小6年生の事件も一種の「魔が差した」なのか。主な原因としては、ネット上にての中傷だという。
何度も私は、言い続けているけれど十人十色。自分が傷をつけるつもりで言わなくとも受け取る側にとっては、違うかもしれない。魔がさして尊い命を奪った女の子に奪われた女の子に少しでも心の隅にマナーという「思いやり」があったならばと思うとやりきれない。
ネット上の中傷は、いい例だとおもう。
自由に発言する権利は、誰にでもあり、日々、穏やかに暮らしていけるほど世の中も優しくない。とはいえ、人を中傷するのは、いかがなものか。
一言、一言、自分の言葉に責任を持たなければならない。
マナーにリスク、コスト、利益に私と相手。
知れば知るほどややこしいこの世界。
でも、私が生活しているのは、コノ世界。
だから、私も合わせなければいけない。
それが人としてのマナーなのだと思う。